ゴルフバー 銀座からの確認事項
J・T・W・ハパードが書いたニューヨーク州銀行家協会の協会史の中で、一七八四年にアレキサンダー・ハミルトンが自分の銀行、つまりバンク・オブ・ニューヨークを設立した時に、実際にやろうと思っていたビジネスのことが面白く描かれている。
「オールパニーのある小売店が、一〇〇〇ドル相当の陶磁器の食器を四月一五日にニューヨークの商店に注文するとする。
小売店は注文書と一緒に、代金は五月一五日に食器が無事配達された時に一〇〇〇ドルを全額払うという約束手形を同封する。
商業銀行というものが利用できなければ、相手の商人は、その食器を送ってから五月一五日まで三〇日間、小売店の手形を取り立てに回すまで資本を固定しておかなければならない。
バンク・オブ・ニューヨークがあることで、その商人は四月一五日に手形が到着したらすぐに銀行で、出納係の誰それに『割引』を依頼できる。
出納係がこの小売店のことを正直で資力のある人物だと知っていれば、一カ月後に一〇〇〇ドル支払うという約束手形を引き受け、商人には現在四月一五日の時点で現金九九五ドルを払うだろう。
(このお金は)例えば。
パリやロンドンから別に陶磁器の食器を仕入れるのに使えるのである」これこそが銀行業である。
かなめいしこの種の銀行が米国経済の要石だった。
テキサスA&Mのウオルター・I・ベンガーとジョセフ・A・プラットは、ヒューストンの実情をこう説明する。
「綿花業者は信用貸しがなければやっていけなかった。
銀行を必要としていた。
銀行の方も、極めて安全で儲けも大きい借り手として綿花業者を必要としていた。
銀行は綿花業者に貸し出す資金源が要った。
鉄道会社と蒸気船会社は、社員に給料を払うために預金する場所が必要だった。
この相互需要と相互利益の連環が一八八〇年代から一九三〇年代まで続いいだ」銀行のおかげで、商店は棚に商品を保管し、製造業者は原材料を在庫で持ち、農家は穀物の種を買うことができたのだ。
また銀行は助言もした。
テキサス州ピクトリアのレピー・バンク&トラスト・カンパニーが一九一〇年代初めに地元の新聞に出した広告を紹介しよう。
豚と豆豚肉と豆の本場はボストンと言われていますが、何もそんなに遠くに行くことはありません。
私たちの手で豚と豆を育てれば、旅費と中間マージンを節約できます。
豚肉や豆を運んでいる者たちは、誰もが儲けてやろうと期待しているに違いないのです。
私たちの土地で育てて、連中に儲けをとられないようにしましょう。
今年の秋には、綿は六セントになりそうです。
豚や豆など、もっと育てて、綿への依存度を減らしましょう。
レククトリスアトキンちなみに、レピー一族は一八四八年か四九年に行商人としてテキサスにやって来た人物を祖先とするユダヤ人で、一九八〇年代以前には米国で一握りしかいなかったユダヤ系商業銀行家の一つである。
さらに一言守えば、最後のレピー一族の子孫の役員がいなくなってから、銀行はクー・クラックス・クラン〈一白人至上主義を唱える秘密結社KKK団〉支配の時代となって、名前もピクトリア・バンク&トラストに変更した。
この間ずっと、主に農家相手の貸し出しを行ってきた。
一九六〇年に凝った作りの新社屋がオブンした時にも、招待された牧畜農家が焼きゴテを持って集まり、二七三枚の四角い草に自分たちの名前の焼き印を押して、それを正面フロアの出納係の後ろに吊り下げたという。
最後にもう一つ、ビクトリア・バンク&トラストは資産二五億ドル、コーパス・クリスティ、オースチン、ヒューストンが囲む三角形の内側に支店を持つまでに成長したところで、一九九六年春にミネアポリスのノーウエスト・バンクに買収された。
一四の州に支店を持つ、我が国最大の州際銀行である。
テキサス州では、連邦議会が二年前に認めていた全国銀行の設立をテキサスでは認めないと州議会が決定しているので、ピクトリアをまとめて大きな組織に改組することはノーウエストにもできない。
売り手も買い手も、この売買を行った理由を本当に分かっているのかどうか、どうもはっきりしないのである。
その一方、ノーウエスト・コープ社は一九九四年に中小企業相手の商業融資の部門では我が国で二位にランクされているから、買収は同社の行動様式に沿ったものだったということなのだろうか。
この類の銀行は学者やメディアが考えているよりも多く、生き残っている。
一九九五年にグループ・オブ・サーティという世界的な集まりでニューヨーク連銀W・マクドナー総裁は、「米国の小さなコミュニティは、その地で所有し、その地で経営している地元の銀行から大きな恩恵を受けている。
ニューヨーク州でも、小さな地域の銀行が繁栄を続けている」と語った。
地域の銀行は地域に貸し出す。
それが彼らの仕事なのだ。
地域とは地理的な地域の場合もあれば、「共通の緋」で結び付いている場合も(信用組合にとっての地域の定義がこれであるてそのどれとも違う独自の定義の場合もある。
ニューヨーク市でも、約一〇〇年の歴史を持ち、基本資産は約一〇億ドル(ピクトリア・バンクの四割、新チェースの一一%の三分の一にすぎない)のマーチャンツ・バンクが、ニューヨーク中心街の中規模メーカーに貸し出しを行っている。
同行のCEO、スペンサー・ウイツティは白髪で姿勢が良く、銀行員のように愛想のいい人物だが、借り手は少なくとも年に一回、「在庫整理」をしてくれると期待している。
どういう意味かというと、昔ながらのやり方なのだが(「我々は古いタイプの銀行だ」)、借り手が銀行からの借金を返し終わったという日が年に数日はある、あるいは少なくとも(帳簿上は)銀行に借りているより多くの残高を口座に持っている、ということである。
マーチャンツ・バンクの融資の三分の二は、一〇年間以上取引のある企業向けのものだ。
もちろん、同じ借り手と何度も取引をする方がかなりの節約になる。
融資担当者が情報を集める時聞がずっと少なくて済むからだ。
ウイツテイの一番のお得意さんは、夏は家庭用プールを、冬はプラスチック製のクリスマスツリーを作っているZ・フォーム社である。
Z・フォーム社は、一年のうち約四カ月間だけ、金を借り、後の八カ月聞は全く借りない。
それこそ、何十年も前からの、銀行の古典的周期なのだ。
農家は春に種を植えるための資金を必要とし、収穫期にそれを返す。
小売店は秋に在庫を増やす資金を借り、クリスマスに備え、新年早々に返すのだ。
人はみな、どれがリスクでどれがリスクでないかを自分なりに決めている。
被服産業では、マニュファクチャラーズ・ハノーパー(現在はチェースの一部門)が、スターリング・ナショナル銀行のようなスペシャリスト・バンクとして、ドレスメーカーに貸し出しをした。
ウイツティは、価格品ばたの変動が大きくない「生機物〈一染色などが施されていない未加工の織布〉」つまり繊維産業に貸し出しを行っている(「染め付けしてプリントしてしまえば、客はそれを選ぶしかない」という)。
輸出・輸入信用状が大きなビジネスになる。
ウイツテイの孫が、投資担当部門のチーフを務めている。
ウイツテイは「はやり」が嫌いだ。
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